技能教習4回目!
タイトルの通りです。
昨日の技能3回目があまりにもボロッボロだったので、家で勉強して行きました、車の(えっ)
わたし仕組みがわからないと何も手につかないタイプというか、数学とかの公式をそのまま覚えるのが苦手で、必ずどうしてこういう公式になるのかを理解しないと覚えられなかったんですよ。
その性格を存分に利用して、昨日の夜ずっっっと車のカーブの原理とかブレーキの仕組みとか勉強してました。あとYouTubeで運転動画をひたすら見てましたね……。
今日の教官にそれ言ったら笑われたんですけどね!!!いいんです!!!「そういうのわかってないよりはわかってるほうがいいからね」ってフォローしてくれました(笑) いい人だ……
さてさて技能4回目の今日は交差点に入ったり、停止線とか路肩でちゃんと止まるっていうことをやりました。あとはいつも通り左回り〜右回り〜で外周グルグル。
私の問題点は左カーブの時ハンドルをきるのと戻すのがが遅いことと、路肩に止まる時にちゃんと左に寄せられていないことだって言われました。あとなぜか左ウインカーと右ウインカー4回くらい間違えました。これはなんでかわからないです。気をつけよ……。上にやったら左、下が右!!
まず昨日のあの惨劇を思えばとてつもない進歩です。
(昨日の教官に見せたい)
てか路肩に止めるの難し!!!!止めることは出来るんですよ、でも左に寄せるのが難しい……。もっと寄せれるよ〜って言われるけど、えっ?!もっと?!ぶつからない?!って思っちゃうんですよね……。間隔はサイドミラーでも確認した方がいいのかなあ。難しいな。早く感覚掴みたいですね。
あと未だにアクセル踏むの怖い!!20kmしか出してないんですけどね!うーんこれも慣れだ。技能教習はあまり間隔あけないようにして予約とろう……。
まあとにもかくにも無事に4回目の技能がおわりました。
そしてなんと今日は技能教習始まって以来初めて教官に褒められました😚
上に書いてあることを注意してくれたあとで、「でもカーブ前の減速と止まる時のブレーキの踏み方はよかったよ」って言ってくれました!お世辞かもしれないけど嬉しい!
これで学科5/10、技能4/12が終わりました!明日は初めて学科受けた後に技能受けます。明日は何やるのかなーー。ちょっとだけ運転に対する嫌悪感がなくなった気がします。(まだ楽しいとまではいってないけど笑)
早く運転が楽しいって思えるようになりたいですね。明日もコツコツと頑張ります。
技能教習3回目で心が折れた話
吐き出したいことがあったので書いてます。
6月の初めから自動車学校に通い始めて、現在学科5/10、技能3/12が終わりました。
技能3回目の今日は加速と減速をやりました。
ちなみに前回の技能は初めて左カーブをやりました。右カーブと全然違う。難しい。アクセルを踏んだのは1時間の中で1回だけです。他はクリープ現象で走ってました。
そんな私が今日2回目となるアクセルを踏みました。
結果から言うと散々でした\(^o^)/
真っ直ぐの場所でアクセルをめちゃくちゃ踏んで、道の半分くらいのところでブレーキを何回かに分けて踏む(3回くらい)……。
先生に「もっとアクセル踏んで!」「もっと減速して!」「車右寄ってるよ!」「ハンドルもっと早く戻して!」「ぶつかる!!!!!」って散々言われました(実際もっと言われてるし、ブレーキも踏まれた)
あと5分で終わるって時になんでこんなに出来ないのかわからなくてボロボロに泣きました、車内で。
今考えると迷惑極まりないな、、
今日の教官は初めましてのおじいちゃん先生だったんですけど、めちゃくちゃ慰めてくれました(ほんっっっとに申し訳ない)
「ほんとはもう終わりの時間だけどね、もう1周しよっか」って言ってくれたんですよ……その言葉に感動してまた泣きましたね
もうね終わったあとも涙止まらなくて、そしたらティッシュくれたり、ファイル使って止まった状態でハンドルの切り方教えてくれたり、最後には「もっと肩の力抜いていいからね」って言ってくれてキュンキュンでした。大好きになった。ずっとあの先生指名したい。
思い返せば最初の先生が最悪だったのよ。技能1回目だよ?1回目で私が「ハンドルどこら辺できればいいんですか?」とか他にもいろいろ質問したけど全部に対して「うんうん、感覚だから〜」「慣れだから〜」って返されて心の中で
「1回目なんだから感覚もクソもねえだろ」
ってブチ切れてましたね
私どうしても性格上頭で理解しないと行動できないので、ここでハンドルどのくらいきるとか頭で1回理解したいんですよ……(母親にその話したら感覚だから大丈夫だよって言われたけど!!)
今日わたしが覚えたこと(たくさん)
内回りの時は外回りの時よりもハンドルぎゅってきらなきゃいけない
ハンドルは一気に戻さない、ゆっくり
90度以上まわるときはハンドルは1回転と半分回す
カーブの前でしっかり減速する
曲がってるときはブレーキ踏まなくていい
(しっかり減速できてたら)
ハンドルはふらつかせない真っ直ぐ
ウインカーは早めに出す
教習所の前のところの角(誰がわかんねん)は回すの3/4でいい、内回りの時も
2個目の角(誰がわかんねん)は障害物避けたあと曲がりながらアクセル踏む、ここも1回転
常に自分が真ん中になるように走る
遠くを見る
ひー!死にそう!!!1回目の教官に当たりたくないと思うばかりです。何も教えてくれないんだもん。ほぼ無線教習みたいなもんよ。
2.3回目の教官はめちゃくちゃよかった……!2回目の教官もハンドル切るタイミングとかちゃんと教えてくれました!1回目の教官と違ってな!!!!!!!
勉強はできる方なので、学科は心配してないんですよ……
ただ技能がなあ……絶望的に才能ない気がする!!!
明日も14時から1時間技能入ってて今から憂鬱です。先生たちみんな優しくて乗り越し?になってないのが不幸中の幸いです。これで技能の4分の1が終わったのかと思うと震えますね。上手くなる気がしないです。世の中の運転免許持ってる人達これを乗り越えてきたわけ?全員天才じゃん…………。
さあ果たして私はとりあえず仮免合格まで辿り着けるのでしょうか!!!乞うご期待!!!!
生まれてから今までの話
大学の課題で提出したものです。課題だと文字数制限があって上手く書けなかったのでここに残しておきます。
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11月17日、雪が降る東北の田舎町で私は生まれた。
幼稚園の頃を思い返すと、悪い思い出なんか1つもなくて、パパやママ、友達や先生、とにかく大好きな物や事がたくさんあって、毎日が幸せだったと思う。
壁にぶち当たったのは小学校3年生のときだ。当時私のクラスでは毎月クラス全体の目標を掲げていた。ある月初の全体目標を決める話し合いで「クラスのみんなで仲良くしましょう」という案が出された。その時の私は真面目な性格で、正直「そんなの守れない」と思った。クラスにはちょっと意地悪な男の子だったり、気が強い女の子もいてどうしても仲良くするのは無理だと思っていたからだ。全員と仲良くするんじゃなくて、仲良くできない子をいじめたり、仲間はずれにしないことの方が大切なんじゃないかと密かに思っていたが、何も言い出せないままクラスの多数決で全体目標はそれに決まってしまった。私も何食わぬ顔で手を挙げるしかなかった。
中学に入学してからは、新しい友達、新しい環境、初めて入った部活、小学校の頃とは全てが違う毎日に胸をときめかせていた。なぜか当時の私は無意味に勝気で自分のことを無敵だと思っていた。
でも高校、大学と時が経つにつれて自分のことが見えてきた。中学の頃まで自分に高い値札をつけて、それが自分の価値だと思っていたのに、挫折するたびに値札の上からどんどん値引きシールを貼られていくような、まるでそんな感覚だった。中学の頃は「早く大人になりたい」そう思っていたのに、いつの間にか大人になったらと言えるほど私はもう子供ではなくなっていた。
マイナスなことを散々書いておいてこんなことを言うのは変かもしれないけど、私は正直今の私が結構好きだ。自分に高い値札をつけていたあの頃の自分も含めて。挫折して辛い思いをしたこともあるけど、それは全部巡り合わせで、神様から与えられた試練なのかもしれないと思うことにした。
多分これから先の長い人生の中で、今までの何倍も辛い思いをするかもしれない。「何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きていかなければならないか」 と文豪の芥川龍之介は仙人の中で述べていた。私もそう思った時期はあるけど、たいそうな夢とかやりがいとかいらなくて、アルバイトの給料日が楽しみで、テレビを見ながらご飯を食べたり、大好きなアイドルのライブに行ったり、そういうのが幸せで、そのために生きてるだけでいいような気がする。
人生なんて人それぞれだし、こういう生き方があってもいいと思う。そう思い始めたのは最近のことだけど、そのおかげで少し気持ちが軽くなったような気がする。やらなきゃいけないことはしっかりやって、やらなくていいことは無理にやらなくていい。そう気づかせてくれた今までの自分に感謝しつつ、残りの人生も気負いすぎず自分らしく生きていきたい。
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みんなも気負いすぎずテキトーに生きていこ( ^_^)/~~~
以上!
夢日記を4年間つけている話
大学の授業で自己紹介(出生から今まで)を小説風に書けという課題が出た。
この課題が出た時とてつもなく困った。書くことがなにもないと思ったからだ。私は今までの人生の中で1番になったこともなければ、逆に最下位になったこともない。つまり中の中。どこにでもいる人間なのだ。東北の田舎町で生まれ、高校卒業までをそこで過ごしたのち、都会に憧れて上京し、関東の大学に通い始めてからもう1年以上がたった。人間とは不思議なもので都会に住み続けるとあんなに嫌いだった田舎のあの静けさが恋しくなる。
……ん?なんの話?そう、そうだ、レポートの話だ。レポートの課題が出された日の夜に私はとりあえず今までの人生の中で自分が長い間続けていたものを書き出してみた。
・ミュージカル、これは小5~小6までの1年間だけ劇団に所属していたっていう話。中学入学と同時に部活を始めるからやめた。
・書道、小4〜中3まで続けたが、最高段位の10段をとったのでやめた。
・水泳、幼稚園から小6までの8年間続けた。これも中学入学で部活を始めるからやめた。
・ソフトテニス、中学のときの部活。上手くもなく下手でもなかったと思う。そこそこ。
・弓道、高校の時の部活。これはまあまあ上手にやっていたと思う。今まであげたものと中で比べると。大会なんかに出ると割といい成績を残していた、はず。でも部内で1番上手いわけではなかったので甘く見ても中の上ってところ。
列挙して気づいた。気付かされた。もしかしてレポートに出来るようなことが1つもないのでは?物珍しさでいえばミュージカルの話?いやでもやっていたのはたったの1年だけ。却下。それなら弓道?いや待て、これも却下。そこそこいい成績は残していたが、秀でた成績はないからレポートにするほど話が膨らまない。
完全に詰み。そう思って今日は諦めて寝ようとした時、ふと高校の時に部活の先輩に言われた言葉を思い出した。
「夢って夢日記つけると操れるようになるらしいよ」
これだ!!!
え?なんで?とか言わないでほしい。だって私にもわからない。なんとなくその日の夜、寝る前、直感的にこの話ならいけると思った。
やっとタイトルが回収できる。夢日記。そう、夢日記の話をする。私が高校のときから4年間ずっとつけている夢日記の話。
私が夢日記をつけるようになったきっかけは、さっきも言った通り高校の先輩に言われた言葉だ。そもそもなんでそんなことを言われたのか、という話を少しだけさせてほしい。
高校1年生のとき、私はとあるミュージカル俳優のファンだった。ファンって言葉でいうと可愛いものかもしれないが、その時の私はわりと本気でその俳優と結婚できると考えてた痛々しいオタクだった。
ある日の部活終わり、私を含めた同級生何人かでその日の立ち(弓道の試合形式)の記録をしたり、道場の片付けをしていた。さっきも言った通り私は痛々しいオタクだったので、同級生たちによく「あーあ、夢の中でも彼(私が好きな俳優)に会いたいなー」みたいなアイタタタ発言をしていた。すると、部活が終わって自主練習をしていた2つ上の先輩が私に
「夢って夢日記つけると操れるようになるらしいよ」
といったのだ。その時の私は頭がお花畑だったのでその先輩の言葉を素直に信じてしまった。それが私が夢日記を書き始めたきっかけだ。
夢は見るけど内容を覚えてないということを言う人がよくいるが、私はそんな人がいることに驚いた。なぜなら私は朝目が覚めても、見た夢は全て映像のように頭の中に記憶されているからだ。
そして夢日記を書き始めて2年目。高校2年生になったその時私はあることに気づいた。
夢に1回も彼が出てきていないことに。
夢を操れる話は多分、いや確実に嘘だったのだ。
その時にちょっと夢日記に冷めてしまった。でも、冷めたけども、2年も続けてしまったんだから今更やめられないとも思った。
夢日記へのモチベーションを高めるため(?)にネットで夢について調べてたら、夢占いなるものがあることを知った。
ちょっと面白そうだなと思って、調べたサイトでその日見た夢を占ってみた。
面白半分で調べたのに気づいたらそのサイトを食い入るように見ていた。占い結果が怖いくらいに今の自分の状況に当てはまっていたのだ。
″夢を操るため″に始めた夢日記だったが、2年目からは″夢占いをするため″に書き続けることにした。
当時の私は一緒にふざけ合える友達はいたけど、深刻な悩みを相談できるような友達はいなかったし、家に帰って両親にわざわざ悩み事をつらつら話す気にもなれなくて、悩みはストレスとなって自分の中にどんどん蓄積されていった。
そんな時にちょうど夢占いに出会ったのだ。誰にも言えなかった私の悩みを言い当ててくれたのは、たまたま見つけた夢占いのサイトだった。別に何か解決方法を教えてくれた訳では無い。でもその当時の私は分かってくれる人がいるっていう事実だけで心が軽くなった。
それから今までずっと、約4年間夢を見る度に夢日記は書き続けているし、夢占いも続けている。
占いっていうくらいだから、正直当たってない日もある。めちゃくちゃいいことと、めちゃくちゃ悪いことが書かれていて「いや、どっちだよ!」ってなった日もある。そういう時はいいことだけを信じるようにした。
何が言いたいかっていうと、あの時のドン底にいた私は夢占いに救われたのだ。それくらい私にとっては意味のあることで、大切な出来事だった。
結局あの時大好きだった俳優の彼に夢の中で会うことは出来なかったけど、大学生になって、自分でお金も稼げるようになったので、彼には現実世界で会いに行くことにした。舞台のチケットをとって、劇場に足を運ぶようにした。夢で見るより断然現実で見た方がかっこいい。
これは私が体験した話で、ただ私が救われただけの話だけど、夢日記つけてみるのは楽しいと思う。今になってたまに昔の夢日記とか見返すと笑えるし。私みたいに救われる人もいるかもしれないし。
ここまで読んでくれてありがとうございました。誰かに読んでもらえたなら嬉しいです。
よし、レポート書くぞー